MEMO

 

 
2018 7 31

絵を描くときにはいつも、画家として拠り所のない自分の状況を確認する。
しかし同時に、「描ける」と思ったときには「何か」を拠り所にしている。

意味がないということ。自分がスタジオにいるときに、そのことをよく感じる。それは決して虚しいというわけではない。むしろ可能性として、開けている。
無意味であるという大前提の中で何かを選び取る。その順番、回路、速度、そういったものが、絵の良し悪しと関わっているように思う。

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油絵具やキャンバス。それらにはそもそもなじみがない。
なじみのない材質だからか、どこか違う世界の匂いがする。
その違う世界の道具で、自分が、今いるこの世界のモノを描こうとしても、どこかウソっぽくなる。
だから私ははじめからよくわからないものを描く。

「なに」とは言えないもの。よくわからないものが描けたとき、逆説的に私はこういう世界を知っていたのだと気付く。
それは生きることの手助けをする。

 

 
2017 11 14

画題や、具体的形象の多く、そういうものがアンリアルでしかたがない。
むしろ絵画を構成する物質、西洋の色材である油絵具、キャンバスそれ自体に、歴史の重さや堅牢さを感じる。そこで自分は何もできないのではないかという無力感をかかえる。
しかし自分は自分に操られ絵を描くしかない、という感覚がある。
調子のいい時は無心に、坦々と絵が出来ていく。そう言うリアリティーがある。